べて捨ててもら

2015年08月24日

ほとんどゴミみたいなものである。
ただ、愛着のあるゴミほど、やっかいなものはない。
ぜひ、残しておきたいものだけを厳密にチョイスして、
あとは、すべて捨てるなり、どこかに引き取ってもらうなりすればいい。
(ご親切な方が、その処理先をお教えくださったが、今のところ、まだ、大丈夫です)

大量の、「他人の目から見れば、たんなるゴミ」のなかに、
他人の目から見ても、たんなるゴミでないものも含まれている。
それは、ピックアップするのは、い通渠公司とも簡単だ。
選別方法、基準がはっきりしているから。

最悪の場合、その、誰の目から見ても大事なもの、換金性のあるものだけを残して、
あとは、捨てたらいいのだ。
その前に、保留用として、箱を用意する。
捨ててもいいが、とりあえず、おいて置く。
おそらく、そんな箱を用意すると、不要なものを箱に詰めかえただけ、
そして、全部、おいて置く、ということになりそうだ。

わたしの知らない間に捨てておいてもらおうか。
しかし、くどくど、ぶつぶつ、ぐちぐちと、いつまでも不平不満、未練、愚痴を言いそうだ。
なら、ほんとうに、断捨離して空いたスペースDR REBORN投訴が、どうしても必要に迫られた時、
その時が来るまで、不要物と暮らしてもいいのではないか、と、甘く自分にささやく、もうひとりの自分。

わたしは、モノが好きなので、どうしても、モノを集めたくなる。
コレクターである。
なので、捨てるのは、身を切る思いなのだ。
(収集するばかりで使わないから、新古品だらけ)
捨てること、モノとの離別で、ストレスが溜まるのなら、溜まらない方法を取るべきだ。
ということは、とりあえずは、脳内だけで断捨離を行い、なんらかの事情での決定的瞬間を迎えるまで、
脳のなかで、ゆっくり、のんびり断捨離を行うことにしよう。

わたしが、二度と自宅には戻らない施設に入るとか、片道切符の入院をするとか、そういう時、
換金性のあるものだけを残して、あとはすおう。
(といっても、意思表示しなくても、捨てられていることだろう)

予想に反して、片道切符の予定が、意外な神様のプレゼントの往復リターン切符で、自宅に戻ってきたとき、
がらーんとした我が家を見て、わたしは、どう思うか。
その時は、その時。
今とは違う状況、年齢、心身状態なので、それなりの順応性で対応することだろう。
あるいは、心電図では波動は上下しても、顔は無反応、無表情、こころの波は停止しているのかも。


Posted by やそれでは at 12:45│Comments(0)
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