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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

ーグリルを広げ

2015年08月30日

とはいえ、決してグウタラしてたのでもなく、
土日は母の介護、月曜日は伸び放題の金木犀と蝋梅をバッサバサに切り、
草引きもして、冬服や敷物などを洗濯しまくり、火曜は持ち帰りの仕事を
しながら 掃いた尻からバラバラ落ちるサクランボ掃除を雪纖瘦黑店してたので、
アッというまに連休も終盤になってしまったって感じ。
しかも連休前に重度の肢体不自由の生徒を持ち上げてトイレ便座に座らせる
介助をしてる最中、背中の右側の筋がコブラ返りを起こし、抱えてる生徒を
放す訳にいかずコブラ返りのまま耐えてたもので、生徒を車椅子に抱えて
戻した後も どう回してもヒネっても痛みが取れず、さらに治らぬ中で
いろいろとやったもんで未だにスッキリしない。腰をひねるたびに
「アイタタタ」とか「ウヘッ」とか情けない声が出る始末。悲しい連休…。

でも、和室の窓まで枝が迫って圧迫感ハンパなかった金木犀がスッキリしたので、
ちょっと嬉しい。狭い庭に光がさし、窓の傍で外雪纖瘦黑店を眺める猫が金木犀の上を
見上げてる姿に、私も寝転んで同じように見上げ、
「ああ、空は青かったんだんだよね」と猫に語ってると、何とも幸せな気分になる。
50を過ぎた主婦の幸せなんてこんなささやかなもんなんですよ、ホントかわいそう。


せめてなんぞ美味しいものでも作ろうと思って冷蔵庫を開けるが、なんもない。
買い出しに行くとどこもかしこも焼き肉フェア。ゴールデンウィークは焼き肉が
メジャーらしい。
すぐ近くの川でも点々とバーベキュた家族連れや若者達がいい匂いを
させて肉を焼いてる。
匂いだけでご飯3杯はいけそうな煙。しかしゴールデンウィーク明けには川岸はゴミ三昧。
片付けて帰れよ!! 川で網を洗うな!! マナーを守れ雪纖瘦黑店ぬ奴らは接岸禁止じゃ!!
と車で走りながら窓がきっちり閉まってるのを確認して叫ぶ(小心者)。
他人の楽しみを妬んでいては自分が歪みそうなので、さすがにこれではイカンと、
痛い腰をさすりながら子どもに「ランチ行こ!たまには一緒に付き合ってよ」と誘いました。
「俺、3時からバイトやし無理」と言う息子に
「ランチやから3時には間に合うやんか、行かないなら猫をお風呂入れてもらうで」と脅し、
「やだ~…ぐうたらゴロゴロしてたい」と汚い部屋で寝転びながら言う娘に
「そのグウタラ姿を写真に撮ってネットに載せてやる」と脅し、  


Posted by やそれでは at 15:58Comments(0)

べて捨ててもら

2015年08月24日

ほとんどゴミみたいなものである。
ただ、愛着のあるゴミほど、やっかいなものはない。
ぜひ、残しておきたいものだけを厳密にチョイスして、
あとは、すべて捨てるなり、どこかに引き取ってもらうなりすればいい。
(ご親切な方が、その処理先をお教えくださったが、今のところ、まだ、大丈夫です)

大量の、「他人の目から見れば、たんなるゴミ」のなかに、
他人の目から見ても、たんなるゴミでないものも含まれている。
それは、ピックアップするのは、い通渠公司とも簡単だ。
選別方法、基準がはっきりしているから。

最悪の場合、その、誰の目から見ても大事なもの、換金性のあるものだけを残して、
あとは、捨てたらいいのだ。
その前に、保留用として、箱を用意する。
捨ててもいいが、とりあえず、おいて置く。
おそらく、そんな箱を用意すると、不要なものを箱に詰めかえただけ、
そして、全部、おいて置く、ということになりそうだ。

わたしの知らない間に捨てておいてもらおうか。
しかし、くどくど、ぶつぶつ、ぐちぐちと、いつまでも不平不満、未練、愚痴を言いそうだ。
なら、ほんとうに、断捨離して空いたスペースDR REBORN投訴が、どうしても必要に迫られた時、
その時が来るまで、不要物と暮らしてもいいのではないか、と、甘く自分にささやく、もうひとりの自分。

わたしは、モノが好きなので、どうしても、モノを集めたくなる。
コレクターである。
なので、捨てるのは、身を切る思いなのだ。
(収集するばかりで使わないから、新古品だらけ)
捨てること、モノとの離別で、ストレスが溜まるのなら、溜まらない方法を取るべきだ。
ということは、とりあえずは、脳内だけで断捨離を行い、なんらかの事情での決定的瞬間を迎えるまで、
脳のなかで、ゆっくり、のんびり断捨離を行うことにしよう。

わたしが、二度と自宅には戻らない施設に入るとか、片道切符の入院をするとか、そういう時、
換金性のあるものだけを残して、あとはすおう。
(といっても、意思表示しなくても、捨てられていることだろう)

予想に反して、片道切符の予定が、意外な神様のプレゼントの往復リターン切符で、自宅に戻ってきたとき、
がらーんとした我が家を見て、わたしは、どう思うか。
その時は、その時。
今とは違う状況、年齢、心身状態なので、それなりの順応性で対応することだろう。
あるいは、心電図では波動は上下しても、顔は無反応、無表情、こころの波は停止しているのかも。  


Posted by やそれでは at 12:45Comments(0)

ればいいのだが

2015年08月17日

というわけで、いつもいつも、じつは、わたしはその人の日記を読みに行く。
怖いものみたさ。
今回はどれぐらいアイデア満載、手が込み、改良され、
ますます怖さが増した、お化け屋敷なのかと、期待いっぱい。
お化けに拍車がかかっていることだろう、と、失神、失禁用の準備までして(うそです)
リニューアルお化け屋敷に、勇んで入場していく、
そんな気分だ。
自分の毒をよく知っていれば、そんなお化けは怖くない。
だが、まだ自分の毒との付き合いが浅いと、自分毒にやられるから、注意が必要だ。
自意識過剰うっとり型の、その自称?大女優?女史は、大嫌いではあるが、
じつに人間らしい。
わたしは、もっと生理的にも信条的にも、思考傾向も価値観としても、受け付けない嫌いなタイプがあり、
そういうところには、全く行かない。
人生において、わたしには必要のないものであり、回避する。
ブレーカーを落とし、回線自体を撤去する。
が、自分の無意識下にもある、気になる、怖いもの見たさの大嫌いなものは、
訪れて、自分のアクや悪、嫌いなものと対峙する。
SMにも通じる、痛すぎて気持ちいいほどの「嫌悪ぶり」に触れることによって、
日ごろの、まったり凪平和モードから、一瞬、刺激を受ける。
ただ、それだけだ。
ああ、まだやってる、この人。あ~、嫌いやわ~。
それなら見に行かなけ、行くところが、まだわたしは若いという証拠だ。
やっぱり大嫌いなのだが、自分にもそういうところがあるから、過激に反応するのだろう。
ということは、わたしは、うっとり自意識過剰タイプなのか?  


Posted by やそれでは at 10:48Comments(0)

いなしで続行される

2015年08月11日

とある別SNSで、現役時代には大組織で何百人も部下がいたという、大物が日記をアップされている。
そのSNSは、趣味のことに特化されているのだが、この大物のブログは、すごい。
ほんの一握りの太鼓持ちのような人が、彼の日記に賛同コメントを入れているが、
あとの大多数の人々は、自分の管理ページや、人のページに非難支持コメントを入れ、彼の主張を非難しまくっている。
たまに、彼のところに、直にコメントを入れているツワモノもいるが、一網打尽か、あるいは、方向違いの返事で煙にまかれている。

彼は、自分の主張を曲げない。
陰で(といっても、自分たちの管理ページで)、彼の悪口を書いて、皆で、やんややんやと炎上している。
じつに、おもしろい。(傍観者の立場では)
なにがかと言うと、どんなに否定されても、彼は、折れない、曲げない、屈しないところと、
叩いても叩いても、ちっとも自分の意見を見直してみようか、という気が微塵もないところ。
でも、アップしては、指摘のあった部分を削除したり訂正したりして再アップ???ということを繰り返されているそうだ。
そこのところも、おもしろい。


大勢で弱いものいじめをしている図のはずが、この弱者は、ちっとも弱くなく、その他大勢の人々と闘っている。
さすが、部下を大勢率いていた大物は、違う、と感心する。

だが、弱者だか強者だかわからない、この人物が主張している内容は、
非常に、勘違い、自己陶酔、自己肯定のものが多いと感じる。
それを指摘されても、お構あたりが、この人の部下たちや、仕事は、いったいどんなものだったのか、
どんな風に仕事を推し進めていたのか、そして、その内容、成果は??????と想像する。
もし、お国のお偉い役人だったりしたら、間違った方向であっても、がんがん引っ張って行かれる、ということだ。
彼の部下たちは、気の毒な気もするが、
その職場を辞めないのであれば、「考える力」を放棄して「考えない人」になって割り切る、
そのほうが気が楽になっている人もいるのだろう。

リタイアして何年も経っても、前輪證職の影響は大きいと感じずにはいられない。
しかし、ある意味、あの、絶対に折れない不屈の根性は、
(内容が良いか悪いかは別としても)評価するものがあるような気もする。
  


Posted by やそれでは at 10:14Comments(0)

ライバル心とか

2015年08月07日

虚栄、かさ上げ、イメージ作り、といった、実質ではない、ほんとうの中身で勝負するのではなく、
いかに、うわべを良く見せるか、で勝負しているように感じる。
あたかも、素晴らしいと想像させる、想像以上のものを想像させるが、
実は、見かけがマックスで、実態を明確にしたら、なんだ、そんなものかと、がっかりする可能性がある。
中身より、見かけのほうが良いので、見かけ以上のものは中身には期待できない。
というか、見かけと中身が同じなら、とても素晴らしいが、
見かけに全力をかけているので、必然的に中身は見かけより落ちる。
勝手に良いイメージをどんどん膨らませて、「スゴ人々と、ごいっしょしている自分が、スゴイ!」と思い込む人がいる。
実際にセレブ生活っぽいものが好きなマダムたちはいる。
わたしは、ぷ~んと臭うおカネのニオイが嫌いで、参加しない。
ファッションにしても、身につける装身具にしても、経済力がないと纏えないようなものばかり。
安っぽい服で参加したら、しら~とした目で見られそうだ。
ちょっと、ふふん、と鼻で笑われ、軽い軽蔑の目。
あの人、場違いね、と。
自分が好きで着ている服、格好が、場にそぐわ中五數學
ないとわかりきっていて、あえてそんな格好をするのは、明らかに快適ではない。
いくら信念をもってユニクロの服で参加しても、信念よりも不快感のほうが強いので、ユニクロでは行かないだろうけれど。
(ラフな格好で参加すると、格式ある集まりなどでは、TPOを考慮しないと、ある程度の年齢になるとイタイ)
というか、ユニクロであろうがなかろうが、そんな場は、窮屈である。
無理して、合わせようとすると、見栄を張り、背伸び生活になる。
余裕しゃくしゃくだったとしても、きっとあるだろう。
湯水のように使うのは、自分の稼いだお金なのか? どうやって、稼いだ?
いったい、どういう職種?
それとも、棚ボタ式、親からの相続?はたまた贈与?
(自分で苦労して稼いで手にした金でなければ、お湯と同じ)

派閥みたいなものも出来たり。
そもそも、グループで群れるのは嫌いなわたしなので、セレブであろうが、ママ友であろうが、
集団行動は避けたい。
目一杯の現状を、すべて表に表す、あっぷあっぷのお付き合いは、わたしは、しない。
  


Posted by やそれでは at 10:09Comments(0)

りなければ経っ

2015年08月03日

「適当に承諾して枝にすれば、花を』の中によると、「生きている毎の瞬间をしなければならないというのは、その季節とは関係なく、できることができると生活とは関係なく、あなたが一日ごとにかかわる问题の気持ちだった」と話した。1つの良い気持ちさえあれば、あなたは毎日が过ぎるのが异なっていて、とても楽しく。

それをしないだろうと、春でいました。私に格別な愛情を持って?分かって雪纖瘦いますから、は、春の中に、私の気持ちが不コントロールが必要になる爽やかな悦としている。

その枯れて黄ばむの草むらに、こっそり露尖」とが『なく引き立つの緑;目の前に好きな风冷え込んだことがあって、両畦あふれる舞が勝手に営みのあのあやまりは相反している。


好き赤足踏んで夜の芝生の上に落ち、意図的な撩拨心のあの一缕绵软感じだっ雪纖瘦たのです;小さな流れがさらさらと好きに耳を倾け、自在に滑ることが鹅卵石未练山川のあの一曲と澄んだ音がした。

春の描写に使われ、どんなに灼熱の強みも利用することができるの渲泄恣意的だ。

春は一人一岁首、风が暖かい心を开いて、私达の1年間の窓で気持ちのいいものがあるべきではない。良いスタートしました。すべての憧れの時は、全ての読んで考えても、埋蔵が足たから、この生気が仆の季节の中で育ってきたのではないか、というのも楽しく萌芽で期待花なのだろうか。

そう考えるとすれば、あなたの気持ちはどうあれ、春の花は依然として開放し、この世界はどんどん进んでいきます。そうだったんですが、あなたが私を见せ闲庭前花が咲き、笑って空を見心を、人生が私达を楽しんだ。

言い出して、気持ちが決定で生活しているかどうかを楽しみ、気持ちに関系していられるか。

この春に変えれば、あれらのいわゆる悩み憂愁かんこう荷造りを振り落とす)で、それから一種の楽に心弾む生活に直面し、信じてあなたのを一日が充実な、あなたの生命の中では語尾に充満して香り。


  


Posted by やそれでは at 12:44Comments(0)